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Tubuyaku

つぶやきです。

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  五月雨(さみだれ)や御豆(みづ)の小家(こいへ)の寝覚(ねざ)めがち

                       与謝蕪村

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         『折々のうた』 大岡 信 岩波新書 

   昨夜は雨音に心細さを感じさせる豪雨であった。



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希望について


        希望について

  偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味をもっている故に、
 人生は運命なのである。  
  希望は運命の如きものである。それはいわば運命というものの符号を
 逆にしたものである。もし一切が必然であるなら希望というものはあり得
 ないであろう。しかし一切が偶然であるなら希望というものはまたあり得
 ないであろう。
  人生は運命であるように、人生は希望である。運命的な存在である人間に
 とって生きていることは希望を持っていることである。
 
  絶望において自己を捨てることができず、希望において自己を持つことが
 できぬということ、それは近代の主観的人間にとって特徴的な状態である。



      『人生論ノート』 三木 清  新潮文庫

    近代の二元対立な思考が閉塞的状況の元凶ではないか。





健康について


        健康について

 何が自分の為になり、何が自分の害になるか、の自分自身の観察が、
健康を保つ最上の物理学であるということには、物理学の規則を越えた
智慧がある。ーーーわたしはここにこのベーコンの言葉を記すのを禁じる
ことができない。これは極めて重要な養生訓である。しかもその根底にあ
るのは、健康は各自のものであるという、単純な、単純な故に敬虔なとさ
えいい得る真理である。

 風采や気質や才能については、各人に個性があることは誰でも知っている。
しかるに健康について同じように、それが全く個人的なものであることを誰も
理解しているだろうか。

 健康の問題は人間的自然の問題である。というのは、それは単なる身体
の問題ではないということである。健康には身体の体操と共に精神の
体操が必要である。

 自然哲学或いは自然形而上学が失われたということが、この時代にかくも
健康が失われている原因である。



          『人生論ノート』 三木 清  新潮文庫

 近代科学という名のもとに多くの失われたものを思うできであろう。





思考と論理


  3.03
   われわれは非論理的なるものを思考することができない。さもないと
  われわれは非論理的に思考せざるをえないことになろうからである。




『論理哲学論考』 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン 中平浩司訳=筑摩書房 〈ちくま学芸文庫〉

  思考できるものは論理的なものということであろうか。
  思考した結果が論理的なだけでのようにも思われるが、如何であろうか。




瞑想


        瞑想について

 瞑想はその甘さの故に人を誘惑する。真の宗教がミスティシズムに反対するのは
かような誘惑の故であろう。瞑想は甘いものであるが、それに誘惑されるとき、瞑想
はもはや瞑想ではなくなり、夢想か空想かになるであろう。

 瞑想のない思想家は存在しない。瞑想は彼にビジョンを与えるものであり、ビジョン
をもたぬ如何なる真の思想も存在しないからである。真に創造的な思想家はつねにイメージ
を踏まえて厳しい思索に集中しているものである。

  


                『人生論ノート』 三木 清  新潮文庫


 一般に瞑想といわれるものと禅における座禅の違いはどのようであろうかと思う。






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