忍者ブログ

Tubuyaku

つぶやきです。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「政治問題」は常に「経済問題」だ。


民の飢うるは、其の上の税を食むことの多きを以てなり。是を以て飢う。
 民の治め難きは、其の上の為すこと有るを以てなり。是を以て治め難し。


人民が飢えに苦しむ。それは上にあるもの(統治者)が税金をとることが多すぎるからであって、それゆえに(人民)は飢えに苦しむのだ。
人民が治めにくいのは、上にあるものが干渉するからであって、それゆえに治めにくくなる。

           『老子』 小川環樹訳注 中公文庫

    老子(生没 不明)中国の戦国時代(前480~前220)の思想・哲学者と言われている。


 科学・技術とかは進歩したとか言っているが、経済・社会問題の基本は何千年経っても変わらないですね。
 ここで税と言うのは狭い意味の税だけではなく、現代では、労働にまともな対価を払わない雇用のあり方も含まれてる。
 現在では、多く政治家に対する批判がなされているが、政治と政治家の陰にかくれて影響力をもち、干渉する経済人、こちらの方が問題ではないかと思う。
(彼らは、何だ神田と理由を付けて、何千億,何兆円という税金を自分たちのためにあっという間に使ってしまう。)
 まあ、どちらも大した人物がいないということは間違えないですね。






PR

孔子と年齢

"子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳順がう。
 七十にして心の欲する所に従って、
 矩を踰えず。


先生がいわれた、
わたしは十五歳で学問に志し、
  三十になって独立した立場を持ち、
  四十になってあれこれと迷わず、
  五十になって天命をわきまえ、
  六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
  七十になると思うままにふるまって、
  それで道をはずれないようになった。

 」
"        
           『論語』為政編  岩波文庫

 孔子(BC551ころ〜BC479)中国,春秋末期の人で72、3才まで生きたのでこう言ったのでしょう。

 現在の日本の長寿を考えるとちょっと昔の感覚(昭和以前の感覚?)では今の人の年齢は8掛ぐらいで考えればいいかもしれません。
 つまり,今の20才は16才, 25才で20才、30才でまだ24才,40才で32才、
 50才で40才、60才で48才、70才で,56才、80才で64才、90才で72才と計算できます。
 この計算だと孔子は90才以上生きたということで、当時は長生きの方でしょうし、現在でも長生きの方といえると思います。

 そこで現在では、
 「吾れ二十にして学に志す。
  四十にして立つ。
  五+にして惑わず。
  六十にして天命を知る。
  七十にして耳順がう。
  八十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。
 」
  と言うところでしょうか。

 「七十になると思うままにふるまって、それで道をはずれないようになった。」と言うような生き方が確かに理想だとはおもいますが、
 生まれてくるのも、死ぬのも意のままにはならない訳ですから、どのように生きようと死のうといいじゃないかぐらいの気持ちの方が楽に生きられるのではないでしょうか。






「仕事」 「為事」 表記の変化

『なぞとことわざ』(柳田國男 講談社学術文庫)を読もうとしていたら、
『なぞとことわざ』所収の「ことわざの話」の中で”為事”という表記に出会った。
 
 現在、私たちは普通に「仕事」と言うように記しているが、いつ頃からそうなったのかにちょっと興味を持った。
 ネットで検索するとどうも「仕事」は当て字らしい。
 ”
 http://gogen-allguide.com/si/shigoto.html
 仕事(しごと) - 語源由来辞典 
 ”

 柳田國男は民俗学の基礎を築いた人で、明治8年(1875年)生まれ、「ことわざの話」は昭和5年(1930年)ごろ書かれたものです。
 「為事」から「仕事」への変遷と言うか変化というか、こうしたことが受け入れられていく事の中に
 無意識の思想とか価値観とかを窺うことができるのではないでしょうか。

 漢和辞典(角川 新字源)を引くと
 「仕」シはつかえるということで「仕官」「仕進」と言うことで’役人になる’と言う場合によく使われます。
  一方、
 「為」イはつくる,おさめる、なす ということで単に’行う’と言う意味のようです。

 無理やり両者を訓読してみると「仕事」は「事(こと)に仕(つか)える、「為事」は「事(こと)を為(な)す」
 ということになるでしょうか。
 「仕事」の方が偉いと言うか立派という価値がありそうですね。

「仕」と言う文字は「為」より簡単だし、「為」は普通 イという音で、シ(支)と言う音は一般的に使われていないということも現実的な一因かもしれませんが、 こんなことも,時々考えてみるのもいいかもしれません。

 また、ネットを検索してみたら、

http://tsubaki.blog.eonet.jp/default/2009/07/post-e6bb.html
歌人・石川啄木は、本来の創作活動を「仕事」と呼び、生活のための仕事を「為事」と呼んだ。


  因みに啄木は明治19年(1886年)生まれで、明治45(1912年)には亡くなっています。
 この辺から「為事」が貶められて(?)「仕事」になって言ったのでしょうか。

 何か知見をお持ちの方、御教授ください。


『なぞとことわざ』それ自体は大変興味ある本なので、また話題にしようと思います。




自戒 1


○性燥に心粗なる者は、一事成ることはなし。心和し気平らかなる者は、百福自づから集まる。
 
 せっかちで心の粗雑な者は、たったひとつのことさへ成就させることは難しい。心が和やかで
常に平静な人は、多くの福が集まってくる。


    『菜根譚』 洪自誠【原作】 藤井 宗哲【釈意】株式会社 ぱる出版


 小人がガツガツと目の色を変えてやっても、大したことはないと言うことでしょうか。
何かを成そうとして、自分が自分で頑張っていると思うほどには、効果も成果も上がらないということですね。
ゆとりを持ってと思うのですが、聖人・君主でないものにとっては難しいです。
 もっとも、何かを成す必要はないと思いますが、1,2福いや10福ぐらいは欲しいと思うこのごろです。







「社会問題」はつねに「経済問題」である


恒産なくして恒心なし

 よく引かれる名言ですが、
 これについてちょっと長いですが、前後の文脈が分かるように、村山先生の本から引用してみます。

「社会問題」はつねに「経済問題」である。『孟子』も次のように言っている。
ーー恒産ナクシテ恒心アルハ、タダ士ノミヨクスルコトヲナス。民ノゴトキハ、恒産ナケレバ、因リテ恒心
ナシ。モシ恒心ナケレバ、放辟邪侈(したい放題の悪事)ナサザルハナシ。罪ニ陥ルニ及ンデ、
シカルノチニシタガッテコレヲ刑スルハ、コレ民ニ網スルナリ
〔梁恵王篇〕。
 一定の生業がなくても心が安定しているのは立派な人間だけである。一般の民衆には一定の
生業がないと心の安定もなくなる。もし心の安定を失えば、やりたい放題に悪いことをする。
だから為政者が結果だけを見て、罪を犯したものを機械的に罰するのは、網を張っておいて、鳥
がかかるのを待っているようなむごいことだ。
”  
                     「続 中国の知嚢」村山吉廣著 読売新聞社


 犯罪、自殺者が減らないのも精神障害を持つ人が増えるのも大本は「経済問題」だということを
すべての人が肝に銘じる必要があると思います。

 街には、監視カメラが増え、訳の分からない巡回員だか、警備員が街や村をうろうろと歩き回っています。
犯罪が増えた、増えそうだから、監視・警備を強化しよう、自殺者が減らないから人生相談(自殺相談?)の機会
を増やそう、就職がないから就職相談(所)を増やそう、などなどと対症療法にもなっていない。
 基本は簡単です。現状で景気が悪いのは、民衆・庶民のレベルに金が回ってこない、今後とも回ってくる見込みないからです。つまり「恒産」の見込みがないからです。まともなものを食べなくて、また食べリ当てがなくまともな精神で居ろと言うのは、非合理的です。人間が食べた'物質’でできているのです。
 すぐに、精神(論)を持ち出すのは、無策・無能・怠慢の現れか傲慢さです。

 経済・政治に責任を持っている人は基本的な方策を実行する、それが勤めでしょう。

「邦に道なきに、富みて且つ貴きは恥なり。」

               「論語」泰伯 第八   岩波文庫






カレンダー

03 2026/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

最新記事

(03/11)
(03/11)
(03/09)
(03/08)
(03/07)

最新TB

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

バーコード

ブログ内検索