「
人生は根帯無く、
飄たること陌上の塵のごとし。
分散し風を逐って転じ、
此れ已に常の身に非ず。
地に落ちて兄弟と為る、
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや。
歓を得ては当に楽を作すべし、
斗酒 比鄰を聚めよ。
盛年 重ねて来たらず、
一日 再び晨なり難し。
時に及んで当に勉励すべし、
歳月は人を待たず。」
陶淵明全集 雑詩 其一 岩波文庫
長くなるので、訳は最後の6行だけ引用します。
「うれしい時には、心ゆくまで楽しみ、酒をたっぷり用意して近所の仲間といっしょに飲むがよい。
若い時は二度とはやって来ないし、一日に二度目の朝はない。楽しめるときには、せいぜい楽しもう。
時というものは人を待ってくれない。」
訳者の注に
「*この詩の末四句は少年に学を勧める教訓として利用されるが、作者の意図に反する」
とある。
いつ頃から、どのような形でこの様な修身・個人の道徳的意味に使われ始めたかは少し興味のあるところですね。
この詩から連想される詩が次の詩です。
ネットからの孫引きです。
「
少年老い易く 学なり難し
一寸の光陰 軽んずべからず
未だ覚めず 池塘春草の夢
階前の梧葉 已に秋声」
この詩は、一般に朱子学の祖である朱熹のものといわれていますが、どうも和製らしいとのことです。
次のような論文を見つけました
「少年老い易く学なり難し」詩は観中中諦か 朝倉 和
思うに明治期あたりに修身の啓蒙に利用し始めたのでしょう。
この手のことを専門にされているかたに御教授願得ればと思います。
どのようなものでも使い方でどうにでもなるということでしょうか。
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